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【 GALLERY 】   2014年5月 対談 Toshi Nagai × TAKURO(GLAY)

 
対談  「30周年記念ライブを前に」 Toshi Nagai × TAKURO(GLAY)

TAKURO まず、改めまして活動30周年、おめでとうございます!
 
TOSHI ありがとうございます!
 
TAKURO 『TOSHI祭り!BUZZ☆DRUM 〜30th Anniversary & Birthday〜 Produced by GLAY』が6月8日に開催されるわけですが、GLAYにとっても非常に感慨深くおめでたいということで、今回はプロデュースという大役を買って出ましたけれども。そもそも、TOSHIさんの活動は何をもってデビューと考えればいいんですか?
 
TOSHI 一番最初はやっぱり、武田鉄矢さんだね。バンドをやりたくて宮崎から東京に出て来たんだけど、ギターリストをしている同郷の先輩がいて、その人が武田鉄矢さんのバックバンドをやっていたんですよ。それで、その先輩の家に挨拶に行ってる時に、「ドラマーのスケジュールの都合がつかない」と電話が鳴ったの。まだ俺は上京して2か月の19歳。仕送りをしてもらっていて、バイトやろうか?とまだ迷っていて、東京にも慣れてない時だった。
 
TAKURO 高校卒業して出て来た、ということは、まだ6月ぐらいですか?
 
TOSHI そう、それで、先輩がいきなり個人練習の予約を電話で取ってくれて、「とりあえずスタジオ行こう」と車で連れて行かれて。当時桑田(佳祐)さんのソロをプロデュースしているような、すごい人だったんだよ。それで、「この(ギターの)カッティングに付けて叩いて」と言われて、何種類かセッションをしたの。「それだけ叩ければ大丈夫かな? まだまだダメだけどね」と言われて、とりあえずもう、仕事をもらっちゃった(笑)。
 
TAKURO 免許を取ってすぐベンツに乗る、みたいな感じですね(笑)。
 
TOSHI 免許すら取れてないかもしれない(笑)。
 
TAKURO 仮免で車を買っちゃったみたいな感じ?
 
TOSHI そうそう(笑)。その先輩がバンマスだったから、独断で「この子は大丈夫だから」と入れてしまったわけだよね。海援隊はもう解散していたから、武田さんのソロだったんだけど、いきなり40、50本の全国ツアーで。当時のバンドメンバーは俺のすぐ上が35歳ぐらいで、もっと上は50近い人までいた。俺は、ちょうどマッチ(近藤真彦)と同い年なので、武田さん的には生徒みたいな感じだったのかも(笑)。
 
TAKURO ははは!
 
TOSHI だから、打ち上げで俺が隅っこにいると、「永井くん、おいで」と呼んで、横に座らせるの。いい話をたくさん聞かせてもらったし、すごくかわいがってもらった。
 
TAKURO 19歳で、いきなり40本で、しかも武田鉄矢さんという全国区の名前ということは、日本各地津々浦々行くわけじゃないですか? 体験しなきゃ分からない現場感というか、ただ楽しいだけじゃないツアー感を味わったでしょうね。
 
TOSHI そうそう。緊張もしてるし、移動もつらくて、慣れてないから体調も崩したし。体調管理から何から、あそこでノウハウを全部教わったかもしれない。で、武田さんとの仕事が終わってから、若いロック系の人たちとの仕事をやっている時に、少年隊と出会ったんだよね。
 
TAKURO あの頃のジャニーズの音楽って、簡単に言うとソウルですよね。
 
TOSHI そうだね。マイケル・ジャクソンのカバーとかもやってた。「君だけに」では、これ(指を鳴らす)に合わせて、パットでパチッ、パチッ!と鳴らすんだよ。
 
TAKURO 絶対にズレられないですね(笑)。
 
TOSHI そうそう。演奏にはすごく厳しかったし、1日3ステージとかあってね〜…。面白い経験をさせてもらったと思う。
 
TAKURO その頃はもう、レコーディングドラマーとしてのキャリアもスタートしていたんですか?
 
TOSHI 武田さんの仕事が終わってすぐ、少年隊の前に、ちわきまゆみさんのレコーディングには参加してたね。ベーシストの岡野ハジメさんとかと一緒に。スタジオは、レベルの高いスキルを持った超プロの人じゃないとできない、という隔たりが当時はあったかもしれないね。でも、俺は岡野さんによっていい方向に導かれて、ちゃんと出来たと思います。氷室さんとやる前に、岡野さん、奈良(敏博)さん、カルメンマキ&OZの(川上)シゲさんという、3人のすごいロック・ベーシストとセッションできたのは大きかったね。具体的に教わったというわけじゃないけど、「あ、すげぇな」と勘で思いながら、8ビートがすごく磨かれていったわけ。そして、そのちょうどいいタイミングで氷室さんと出会うんだよね。
 
TAKURO なるほど。氷室さんとは、いつ頃から一緒にツアーを廻っていたんですか?
 
TOSHI 最初は23歳の時で、5本の野外ツアーだった。もともとのドラマーが2本目のライブだけNGで、代わりのドラムを探していたんだよね。俺がデビュー前に辞めたDe-Laxのライブを、氷室さんのマネージャーが観ていて、「De-Laxをやってたドラムのあの子、いいじゃん」という記憶がどこかにあったらしくて。それで、いきなりロスから電話が掛かって来たの。家賃2万円の部屋に住んでる時に(笑)。依頼されたから、「いいですよ」とは答えたけど…正直、存在は知っていても、やっぱり洋楽世代だから、日本の音楽はちゃんと聴いてはいなかったし、「どんな人だろう?」ってところから始まったの。
 
TAKURO “群馬の狂犬”の名残がまだあるころですよ、今は優しくなったけど(笑)。
 
TOSHI (笑)。それで2本目をまずは頼まれたから、すごいぬかるみの中、中断しながらライブをやって。終わった後、「TOSHIくん、これ以降今年スケジュール空いてる?」とマネージャーさんに言われたんだけど。もうその時には既に、東京ドーム公演も決まってたよね。そこに氷室さんも来て、「やってくれよ」と言われて。もともとのドラムの人に、マネージャーさんが、皆の目の前で電話して断ってくれたの。
 
TAKURO うわぁ〜、プロ中のプロの現場の、印象深い場面ですね。それは23歳にとっては強烈ですね!
 
TOSHI そうでしょ?(笑)
 
TAKURO 氷室さん以降の永井さんの大活躍については俺たちも根掘り葉掘り聞いて来たけれど、「羨ましいな」と。氷室さんもちょうど新しいビートを探そうとしていた時じゃないですか? そして、永井さんも「ビートって?」「ロックって?」という想いを抱いていて、同じ戦場にいた戦友、みたいな時間が長いですよね?
 
TOSHI うん。たぶんお互い求めるものが似ていて、もっとカッコいいもの、スリリングなものを、と探して行ったんだと思う。そうやって、ぶつかったり離れたりしながら、1つの音楽の形に持っていった、という感じはあるかもしれない。
 
TAKURO 氷室さんも今年25周年を迎えられて、よく特集番組を観るんですけども、TOSHIさんの髪がチリッチリだった初期にはまだ、クリックはないですよね?
 
TOSHI ないね。だから、2人で作るわけ。
 
TAKURO 永井さんのカウントが生むビートに乗って歌う、という。永井さんがそこで培ってきたものを、TERUさんは、ガッツリ吸収しましたよね?
 
TOSHI たしかに。俺は、歌というものに対するすごく密接なものがずっとあるんだよね。武田さんも、俺のドラムだと「ワクワクして歌いやすい」と言ってくれていたし、ちわきさんも、ロックンロールビートだけど、歌に関しても“立て方”みたいなのがあったし、氷室さんは氷室さんであった。俺はそうやってボーカリストとずっとやって来たから、GLAYと初めてセッションした時も、終わった後、「あの子(TERU)のリズムを絶対よくさせる!」とHISASHIくんか誰かに言ったのを覚えてる。今はまだできていないけど、「絶対に持ってる!」みたいな確信があった。
 
TAKURO 振り返れば、永井さんが宮崎の先輩に、「持ってるんだけど、今はまだ花開いてない」と言われたのと同じですよね。必ず花開かせてやるぞ、と。
 
TOSHI 一緒だね。GLAYと出会ったのは、氷室さんのツアーを7年ぐらいやった後で、氷室さんがロスに行って休む頃だったの。それ以降、氷室さんは3年ぐらいツアーをやってないもんね。作品は出していたけど。
 
TAKURO 俺たちの姿勢としても、スケジュールを決める時にまず最初にするのは、氷室さんにお伺いを立てることでしたね。「こんなツアーを(永井さんをサポートに迎えて)やりたいんですけど、氷室さんのツアーのほうはどうでしょうか?」って。そういえば、初めての永井さんとのセッションの時、俺、ぶっ倒れていてスタジオに居なかったはず。「彼女のModern…」や「ずっと二人で…」をセッションしたんですよね?
 
TOSHI たしか、もう1曲ぐらいやったと思うけど。武田鉄矢さんのバックバンド時代のギターの人の繋がりで、後にXを手掛けることになるディレクターさんと22歳ぐらいで俺は出会ってたんだよね。その人から20年ぶりぐらいに電話があって、「今GLAYというバンドをやってるんだけど、ドラムが抜けて居ないから」とサポートを頼まれて。送られてきたのが「彼女のModern…」のシングルで、「わ! ビジュアル系だ」と(笑)。
 
TAKURO …悪かったね!(笑)
 
TOSHI いや、だってTERUくんこんなに髪長くて、化粧しててさ。
 
TAKURO 上に向かってるよりマシじゃないですか!(笑)
 
TOSHI まぁね(笑)。俺が30歳で、皆が23歳。正直、俺は全然知らなかったんだけど、甥っ子に「GLAY知ってる?」と訊いたら、「知ってる知ってる!」って。姉に、甥っ子のためにも「やったほうがいいんじゃない?」と一言言われたんです(笑)。
 
TAKURO ありがてぇなぁ〜(笑)。
 
TOSHI それに、YOSHIKIさんとは19、20歳ぐらいのアマチュア時代に、コンテストでよく会ってたの。俺のバンドもXも落ちて、居酒屋で飲んだこともあったし。YOSHIKIさんがデビューしたら、若いドラマーが皆真似をして、首や腰を痛める、というスタイルがバーッと広がった。それもカッコいいんだけど、俺は氷室さんとずっとやってたから、もう少し重たいビートも日本の若者がやってくれないかな?とは薄々思っていたんだよね。
 
TAKURO 世の中の音楽の、特にリズムの流れがね。
 
TOSHI そう。だから、俺がGLAYに入って一緒にイベントに出れば、他の若手と対バンするわけじゃない? その時に影響を与えられれば、もしかしたらできるかも、と思ったの。それも含めて(サポートを)決めた。
 
TAKURO 戦略家としての永井さんの意外な一面が(笑)。
 
TOSHI まぁ、それほどイベントには出なかったけど、ラルク( アン シエル)と一緒になった時があったよね?
 
TAKURO 渋公! ラルクとEins:VierとGLAYで。
 
TOSHI そうそう。今でもsakuraくんにあの時のことを言われるんだけど、「子どものケンカに大人が出て来てどうするんですか?」って(笑)。
 
TAKURO (笑)。
 
TOSHI GLAYが売れたお蔭もあって、俺を慕う若手のドラマーが増えたのは成功だなと感じるし、今では(ドラム)クリニックもやったりしているしね。
 
TAKURO お〜いい話だ! そんな目論見があったとは! 俺、世界一美しいアルバムは氷室さんの『FLOWERS for ALGERNON』だという考えはずっと変わらないんですけれども、それを今度はライブで永井さんと磨き上げて。GLAYも今回アルバムを作る時に、あのビート、あの世界を、自分が本当に純粋なロック・キッズだった頃のやりたかったこと、というのを、ようやくできる環境を手に入れた気がするんです。20年経って、ようやくですよ? 永井さん、永井さんと同世代のドラムの方たち、そして永井さんの音をずっと聴いて来た若手、という点と点が、今おっしゃった通り、永井さんのドラム、ビート、というところでバシッと繋がる感はありますよね。
 
TOSHI うん、そうだね。
 
TAKURO 今飲み会とかに顔を出せば、「聴いてました!」「コピーしてました!」と言われる。でも、そこには必ず永井さんのビートがあったわけですから。
 
TOSHI GLAYをやったことで、氷室さんを俺がやってることもまた若い人に伝わる、というのがあるんだよね。
 
TAKURO 氷室さんも永井さんも洋楽世代ですけど、俺たちは、いわゆる邦楽世代の始まりだったわけです。“邦楽は邦楽らしく”というのは俺もどこか心の中にあって、それは後々J-ROCKと呼ばれるようなものかもしれないですけども、それは永井さんとGLAYのメンバーとで共に作り上げて来た。その一席には座っていた、という自負は、20年経って、ありますよね? 
 
TOSHI そうだね、もちろん。
 
TAKURO そんな永井さんがいよいよ活動30年ということで、『TOSHI祭り!』を開催するわけですけども。永井さんがやりたいことについての情報が随時耳に入って来るんですが、時間に限りがあるってことを完全に忘れてるんじゃないか?と(笑)。
 
TOSHI ははは! 最初は、今までお世話になったアーティストさんに出てもらう、と考えていたんだよね。でも、引退じゃないし。
 
TAKURO そうですね。
 
TOSHI それに、GLAYプロデュースとていう形もあるので、やっぱり俺が“今”関わっている人たちに出てもらおうかな?と。今回は俺のいろんな面を見られるだろうし、お客さんは楽しめると思いますね。
 
TAKURO せっかくなので、出演していただく方々一人一人に対するコメントをお願いしましょうか。
 
TOSHI 響座さんは和太鼓のグループで、15年前に地元で一緒にセッションやらせてもらって、それ以来バンドみたいなこともやっています。洋楽器であるドラムと和太鼓のコラボセッションは、最近ではブームになっているけど、彼らが日本で初めてだったんじゃないかな?と。たぶん、聴いた人はびっくりすると思う。
 
TAKURO 知ってる・知らないというレベルでなく、日本の今を生きている人の心の奥の何かを絶対に呼び起こすはずです。なぜこれが何千年も続くのか?というのがもう、一発の音ですぐ分かる、という。
 
TOSHI そう。それを聴かせてあげたいなと思って、わざわざ宮崎から来てもらうんです。
そして、sfprというのは、付き合い的には10数年になるんですが、ベースとギター2人だけで、あとはコンピューターなんですよ。ボーカロイドを使っているし、この間ライブを観に行ったらすごく面白くて、これは新しい世代として出て欲しいな、と。ドラムがサポートなので、僕が代わりにやったらどうなる?という、実験的なものにしたいです。
 
TAKURO 楽しみです。そういう未来への攻めがいいですよね。
 
TOSHI wyseは今で言うビジュアル系のバンドで、結成して10数年経つんだけど、一旦は解散したんですよ。僕はベーシストの(牧田)拓磨くんのバックをずっとやっていたんですけど、彼らが誕生日だけの再結成をするという時に、ドラムがいなくて、僕がやったらいい感じで。再結成して以来、4年ぐらい一緒にやっています。メロディーがしっかりしてるし、GLAYにも似たところがあって、面白いですよ。
米倉千尋さんは、『ガンダム』の主題歌などを歌っているアニメ界のシンガーソングライター。僕はバックとして2年ほど前から一緒に活動してたんですね。そこに、僕が宮崎から一緒に出て来て苦楽を共にした、LINDBERGのベーシスト・川添智久さんがいて。米倉さんと川添くんと僕、原田芳雄さんの息子さんでギタリストの原田喧太くんも出ます。
 
TAKURO 喧太くんも出るんですか? 素晴らしい!
 
TOSHI あとは高山君というキーボードがいて、Strangler Figsというバンドみたいな形で活動していく、という。これから新生になるので、出て欲しいなって。
LINDBERGの渡瀬マキさんにもOKをもらったので、歌ってもらうことになりました。
そして、GLAYですよね。GLAYの中に入ってもらう人として、若手で、今の皆が知っている人で、同じドラマーで…と考えた時にSCANDALのRINAちゃんが面白いかな?と思って、一緒にGLAYの曲を叩くことにしました。
 
TAKURO MINAKO withWild Cats以来のツインドラムになりますね(笑)。是非是非、楽しんでいただきたい。あと、TOKIさんね。
 
TOSHI そう。そのGLAYのステージに、TOKIさん、渡瀬さん、元EXILEの清木場俊介くんとか…最後には全員出て来て欲しいですね。
 
TAKURO 『TOSHI祭り!』、すごいことになる(笑)。通常のワンマンライブでは絶対に見られないGLAYですね。ゲストが来ると燃えますから、激しいライブになるんじゃないでしょうか? しかも俺、『LINDBERGV』はCDが割れるぐらい聴きましたからね。
 
TOSHI (笑)。
 
TAKURO 「GLAYをやっててよかったな」と思うことはたくさんあるんですけど、その1つは、人を通じて自分の憧れのミュージシャンとセッションできること。だから、『TOSHI祭り!』には感謝しております。
 
TOSHI いえいえ。俺も、プロとして30年もよくやって来られたなと思うんだけど、やっぱりいくらドラムが上手くても、仕事のチャンスを掴めなければ続けられないわけだよね。それはもう絶対に“縁”でしかないし、巡り合った人たちへの感謝しかないです。
 
TAKURO やっぱり、永井さんは総合的なプロデューサーとしての眼があればこそ、いろんなバンドとの縁を作れるんだと思うんです。それに、大きく言うと、僕らも“いいドラム”を叩いて欲しいわけじゃないんですよ。(ライブに)来ている人たちを、リズムという本当に原始的なところで楽しませたいだけだから、性格悪いと「無理だ!」と思います(笑)。「お客さんが喜んで、楽しんでくれることが一番なんだ」と考えているからこその永井さんなのではないか?と。腰が動く、というのはやっぱり、リズムによって、ですもんね。
 
TOSHI うん、ライブでは特にね。
 
TAKURO 永井さんはずっと、自分のスネア一発で人を楽しませているんですよ。それが非常に感じられたGLAYのこれまでの20年ですけどね。では、最後になりますが、永井さんは今まで何回ぐらいスネアを叩いたんでしょうね?
 
TOSHI ははは!
 
TAKURO 正解はライブ本番で発表しましょう! 今日はありがとうございました!
 
TOSHI ありがとうございました!
 

 (2014年5月収録)
 
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